プロフィール

神奈川県厚木市在住の

心理カウンセラー あまるめの

経歴をご紹介させていただきます。

■出身地 岩手県平泉町(中尊寺、金色堂がある街です)

■趣味  映画鑑賞 /ウォーキング

■家族  4人家族(妻、息子2人)

■出身学校 一関工業高等専門学校機械工学科卒

■好きなもの バナナ

■嫌いなもの みょうが

 

< 経歴 >

◆中学の時、イジメから人間不信に

夏休みの宿題に絵を提出したのですが

(私は絵を描くのがとても苦手)

その時の絵をクラスメートに馬鹿にされたことから始まり

無視されるように。(特定の人やグループから)

それがきっかけで

それまで普通に話していた友達とも話せなくなり

孤独な3年間を過ごしました。

その後は人間関係を築くのに大きな影響がありました。

 

◆24才で結婚。そして夫婦冷戦

子供が小学高学年になった頃

朝の一言を私からかけなかった

ことがきっかけとなり

夫婦間の会話がなくなり、夫婦関係がどんどん悪化。

私だけが悪いのか、という思いもあり

私から意識的に話すことをしなくなり

妻から話しかけられても無視するように

そのうちに何をどう話したらいいのかわからなくなり

その後6年間ほぼ会話がない生活が続きました。

私の態度がそんな感じだったので妻も同じような状況に。

 

なんとかしないといけない、と思いながらも

話しかけられない、話しかけることができても

無視されたりして、

殆ど会話をせず、冷戦状態のまま苦しい日々を過ごした。

 

原因は私の言葉不足につきます。

その後ことについては私が修復しようと思うまで

時間がかかりすぎ、

私が修復しようとしたときには

妻の心が固く閉ざしていました。

この6年の間は、毎日辛い日々で

関係悪化直後には単身赴任で普段は自宅にいない日も1年ありしまた。

この間全く夫婦の未来が見えない状態でした。

 

◆設計職でうつに

25年プリンターの設計の仕事をしていましたが

50才過ぎてから、うつに。

 

異動先の職場で未経験の仕事を任されたのですが

業務量とプレッシャーと

上司の協力がほとんど得られない状態が続き

約2年後にうつに。

 

その後約4か月会社を休み休養。

休養している間に心理療法と出会う。

 

職場復帰後暫くは前業務以外の業務をしてましたが

数ヶ月後に前業務に復帰。

それからはうつにならずに過ごす。

 

※私の親は毒親?

中学での経験、夫婦関係の悪化、仕事でうつ

どの時も私の心のなかにあったのは

自己否定感

子供の頃は、あまり親に愛された記憶はありません

話しかけられた記憶あまりないんですね。

 

◆心理カウンセラーになる

20年以上エンジニアとして働いていましたが

ずーつと言われていたことがあります。

それは…

エンジニアらしくない

です。

 

エンジニアでは自己主張が強い人が割りにおおいのですが

私自身は自己主張は強くなく

むしろ人の意見を聞くことが多かったです。

 

この時に言われていたのが

話しやすい

気持ちがスッキリした

などの声が多かったんです。

 

残りの人生をどう過ごすかを考えた時に

エンジニアとしてよりも

私自身人の話を聞くのが好きなこと

 

もし私と話して気持ちが楽になるのであれば

 

お悩みを聞いて楽になっていただき

私の経験から

微力でもおやくに立ちたい

という思いで心理カウンセラー

になりました。