「あの時の経験は記憶から消したい」
とか
「あの時の経験は辛くて思い出したくもない」
と思っていることはありませんか?
そのような経験を
「今の自分にとって必要な経験だった」
もしくは
「今思えばいい経験ができた」
という思いに変えられたら
どのように思いますか?
恥ずかしい話ですが、
私は子供の頃、おねしょをしていました。
誰でもおねしょは経験があるとは思いますが
私の場合10代までしていました。
幼稚園くらいまでならまだしも
10代までしていたとなると
正直、今でもとっても恥ずかしいです。
私にとってはあまり思い出したくない経験です。
恥ずかしいからというだけではありません。
この時親から注意されたことを守っていたにも関わらず、
おねしょをすると私の気持ちを聴くことも、察することもせず
ただただ がみがみ怒られていました。
このようなことを繰り返しているうちに
「親は私のことが嫌いなんだ」
や
「失敗すると、怒られるし、嫌われる」
そして
「おねしょを直せない私はダメな人間なんだ」
とも思い始めていました。
治るまでの間繰り返し怒られているうちに
徐々に、私は親には心を開かなくなりました。
何かあっても親には、どうせ怒られるだけだから、と
話すことは一切しなくなりました。
それからというもの、
その後の人間関係において私はとても苦しみました。
何かを失敗すれば
「失敗したからあの人から嫌われている」とか
「失敗した私はダメな人間」
のような気持ちを持つようになっていて
あの人から嫌われている、と思い込んでいるため
その方とは話しにくくなり、それでも話さなければならないときには
とても緊張してしまうようになってきました。
私に関心を持ってくれる方とは仲良くできましたが
関心を持ってもらえそうにない方とは仲良くできませんでした。
ですから、友達と呼べる人は少なかったです。
だから、20代までは毎日が楽しくなくて
ただ生きている、という感覚でした。
そんな自分が嫌いでした。
でも…どのようにすればいいのかわかりません。
そして、自分が嫌いなまま長い間過ごすことになりました。
上に書いたことを経験した時期は、私の嫌いな部分の性格を作った時期
と思っているため、おねしょについては私は思い出しなくない経験です。
なのでしばらくの間は、この経験については
忘れようとしていたこともあり、
普段思い出すとは無かったです。
でも…
私は心理カウンセラーになって開業するにあたり
自分の過去を振り返ることをしました。
当然、このことも思い出しました。
嫌な経験と、怒られている親の声や
その時の自分のみじめな気持ちを思い出してきました。
振り返った時にしたことは
過去の経験から学んだこと、あるいは、その経験があなたに及ぼした影響を
考えることでした。
ですからその過程でおねしょのことと、親に怒られたこと
についての経験を思い出しました。
そしてその経験から何を学んだのか、をつらつらと考えていました。
すると…
少しずつですが何かを学んで今の自分がいることに気付いてきました。
おねしょの原因は私の注意不足とかそのような問題ではないことがわかり、
「私が怒られたのは理不尽で、私自身がダメなわけではない」
ということがわかってきました。
私は親の注意を守っていたにもかかわらず、
一方的に怒られることが繰り返されていました。
人を簡単に怒る/叱ることはせず、
一度話を聴かないといけないことを直感的に感じていたので
人の気持ちをよく聴くようになっていることに気付きました。
このように考えていると
子どもの頃の経験したことは変わらないけれども
経験したことの意味については変えられる、ことがわかりました。
おねしょとそれに関連する一連の経験から
無意識のうに学習していたことがあることで
今の自分があり
そして心理カウンセラーとしての基本となる聴くことに
注意を向けられるようになったのは
この経験があったからこそ、と今では思っています。
このように心から捉えることができたら
あなたはどのように思いますか?
あなたも記憶から消し去りたいような経験があって
今の自分にどのような影響を与えているか一度見つめてみませんか?
今だにネガティブにしかとらえられない場合があるかもしれませんが
そんな時は…
問題が何かあった場合、その問題の裏返しが答えになります。
きっとそれがあなたの経験したものの意味に変わりますよ。
自分の経験してきたことに今の自分に良い影響を与えている
と少しでも思えたら、
少しだけでも特にした気分になりませんか?
だって、今まで記憶から消したいと思っていたことが
今の自分にとって意味があることに変わったんですから。