相手の表情が気になり、
相手の気持ちを読んでしまう。
相手の気分を害さないように
言葉を慎重に選んでしまう。
以前の私がやっていたことです。
そして、私の気分は
他人の表情によって、左右されていたのです。
あなたにもそのような経験ありませんか?
これって、なんか損した気分になりませんか?
どうして自分の気分なのに他人に左右されなければならないのか、と。
かつての私は、まさに他人の目を気にしていました。
どのように気にしていたかというと…
私が何か作業をしていて、少し離れた場所にいる人が私の方をじっと見ていだとします。
その時私の頭の中では
「あの人は私の作業の欠点を見ていて、あの人は私のことが嫌いに違いない」
という考えが浮かんでくる場合があります。
こん考えが頭の中に浮かんでくると
悲しい気持ち、になってその場から逃げ出したくなります。
似たような経験はありませんか?
ここで少し立ち止まって考えてみます。
ここでもし逆の立場で
私が誰かの作業を見ている立場だとしたら。
どのような思いで見ているか、です。
もしあなたならどのように見ますか?
私なら、
1.(意味もなく)ただみているだけ
2.自分の参考になる作業をしているかを観察する
という目的で見ていると思います。
ということで、見る側に立った場合、私は特にその方を嫌いだから
作業の欠点を見る、とか、その方を嫌いだから見る、というようなことは
しません。
どちらの考え方も自分の中から出てきたから、どちらも自分の考えなんですね。
立場を変えてみて考えて、違う考えが出てくる、ということは
私の作業を誰かが見ていた時に
私の頭の中に浮かんだ考えが正しいとは限らないんです。
ということは…
他人の顔の表情を読んだ時の読み方が、正しいかもしれないし、正しくないかもしれない、と
どちらの可能性があるとを知っておくといいです。
立場を変えてみると、違う考え方がでてくるということから、
他人が自分をどう見ているか、という見方には色眼鏡のようにフィルターがあることに
気付くことができますね。
私の場合、そのフィルターは「私は人から受け入れられていない」「私は人から嫌われている」のようなものがあります。
私の作業を見ている人をみて、
「私はあの人から嫌われているから私の欠点を探している」
のような考えがでてきますが
このフィルターを外せたら、このような考えは浮かんでこないです。
私がこのフィルターを外したら、同じ状況の場合
・ただ、見ているだけだろう
・なんかこっち見ているな
だけで、それ以上の考えも出てこなくて、感情も特に何も変化がありません。
自分の欠点を探している、と考えている時には、悲しさ、を私は感じますが
ただ見ているだけ、と考えている時は、特にネガティブな感情はでてきません。
このように、瞬間的に浮かんできた考え、がそのあとに起きる感情に影響を与えます。
このフィルタを見直すことで、自分の気分を楽にできるようになり、
気分が楽になることで他人の目を気にしなくなり、
気にしなくなるようになると、幸せな生活を送れるようになります。